映画の要約
地球の深刻なエネルギー危機を救うため、月面で貴重な資源「ヘリウム3」を採掘する任務に就いた一人の男、サム・ベル。彼は通信衛星の故障によって地球との生配信の連絡が絶たれた孤独な月面基地で、AIロボットの「ガーティ」だけを相棒に、3年という果てしない契約期間をたった一人で耐え抜こうとしていた。
愛する妻とまだ見ぬ幼い娘が待つ地球へ帰れる日まで、残りあとわずか数週間。帰郷へのカウントダウンに胸を躍らせるサムだったが、ある日、月面作業中に幻覚を見てしまい、作業車ごと採掘機に衝突する大事故を起こしてしまう。意識を失った彼が次に目を覚ましたのは、基地の医療カプセルの中だった。
怪我から回復したはずのサムは、不審な動きをするガーティの隙を突き、立ち入りを禁じられた事故現場へと向かう。そこで彼が目撃したのは、大破した作業車の中に残された、自分と全く同じ容姿をしたもう一人の「サム・ベル」の姿だった。
隔離された宇宙空間という究極のシチュエーションの中で、「自分とは一体何者なのか」という根源的な問いを突きつける、低予算ながら世界中で絶賛された傑作SFサスペンスである。
映画の時間
- 97分
ネタバレ
【起】孤独な任務の終わりと、不穏な事故
近未来、地球のクリーンエネルギーを支えるため、ルナ・インダストリーズ社に雇われたサム・ベルは、月面の採掘基地「サラン」で孤独な作業を続けていた。地球との直接通信は故障により不通となっており、録画されたビデオメッセージのやり取りだけが、唯一の家族である妻・テスとの繋がりだった。
孤独な3年間の契約満了をあと2週間後に控えたある日、サムは体調不良と不気味な幻覚に悩まされるようになる。作業中に再び現れた謎の少女の幻覚に気を取られたサムは、月面探査車(ローバー)の操作を誤り、巨大な採掘機に激突。意識を失い、車内に閉じ込められてしまう。
【承】もう一人の自分との対峙
サムが目を覚ますと、そこは基地の医務室だった。相棒の人工知能ロボット・ガーティは「事故のショックで記憶が混乱している」と告げ、会社からの指示で基地の外へ出ることを固く禁じる。しかし、ガーティが地球の本社とリアルタイムで暗号通信を行っている現場を盗み見たサムは、会社の対応に強い不信感を抱く。
外の様子を確かめるため、サムは基地のガス漏れを偽装してガーティを騙し、ローバーに乗って事故現場へと向かった。そこで彼が発見したのは、衝突した車内で息も絶え絶えになっていた、自分自身と完全に同じ顔、同じ声、同じ記憶を持った「もう一人のサム」だった。新しく目覚めたサムは活気に溢れ、救出された古いサムは衰弱していた。二人は激しく激突し、互いが本物のサム・ベルであると主張し合う。
【転】暴かれる残酷な真実
二人のサムは、どちらが本物かを確かめるべく基地内を捜索し、隠された地下室を発見する。そこに並んでいたのは、数百におよぶ「サム・ベルのクローン」が眠るカプセル群だった。彼らは本物のサムではなく、3年の寿命しか持たないように遺伝子操作されたクローンに過ぎなかったのだ。
3年の任期が終わると、地球へ帰るための「帰還カプセル」に入ることになっていたが、それは帰郷ではなく、肉体を焼却処分して次の新しいクローンを目覚めさせるための嘘の装置だった。古いサムの肉体が急速に崩壊し、歯が抜け、血を吐いていたのは、3年の寿命が尽きかけているサインだった。さらに、故障とされていた地球との通信は、クローンたちが真実に気づかないよう、意図的にジャミング(電波妨害)されていたことが判明する。古いサムはジャミング圏外まで移動し、地球のテスへ連絡を試みるが、そこで知らされたのは、本物のサムはすでに地球で暮らしており、愛する妻テスは数年前に他界、映像に映っていた娘は成長して15歳になっているという、絶望的な現実だった。
【結】月からの脱出と未来へのバトン
ルナ・インダストリーズ社が事故の隠蔽と二人のサムを抹殺するため、地球から監査チーム(クリーンアップ部隊)を向かわせていることが発覚する。残された時間は少ない。衰弱し、自らの死期を悟った古いサムは、未来ある新しいサムを地球へ脱出させるための計画を提案する。
古いサムは自ら大破したローバーへと戻り、最初に事故を起こした状態を偽装して死を待つ道を選ぶ。新しく目覚めさせる予定の「3人目のクローン」を起動し、監査チームの目を欺く準備を整えた。親身になって二人を支え続けたガーティは、自らのメモリーを消去して会社への証拠隠滅に協力する。
新しいサムは、ヘリウム3を地球へ送るための無人輸送カプセルに密かに乗り込み、月面基地からの脱出に成功する。地球の大気圏に突入するカプセルの中で、彼は自由な未来を見つめていた。映画のラスト、地球に到着したクローン・サムによる告発によって、ルナ社の非道な悪行が世界中に暴露され、企業の株価が大暴落したというニュースの音声が響き渡り、物語は幕を閉じる。
この映画と似ている映画
- 『オブリビオン』:自分という存在の根底を揺るがすクローン技術の陰謀と、隔離された世界での孤独な任務を描いたSF大作。
- 『2001年宇宙の旅』:白い無機質な宇宙空間、そして人工知能ロボットとの奇妙な関係性が本作に多大な影響を与えた金字塔。
- 『ガタカ』:遺伝子操作や管理された社会の中で、「人間の尊厳」や「生きる意味」を静かに、かつエモーショナルに問いかける傑作。
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総評
この映画を観終わった後、私はしばらくの間、劇場の席から(あるいは自宅のソファから)立ち上がることができなかった。胸の奥に冷たい刃を突き立てられたような、それでいて人間の気高さを信じたくなるような、極めて濃密で、切ない感情が私を支配したからだ。監督のダンカン・ジョーンズが、これが長編デビュー作であるという事実には、映画評論家を30年近く続けてきた私でも、ただただ脱帽するほかない。特撮やCGを駆使した派手なハリウッド製SFアクションが席巻する現代において、本作はあえて古き良き1970〜80年代のクラシックなSF映画の佇まいを纏い、ミニマリズムの極致とも言える美学で、人間の「魂のありか」を静かに、かつ激烈に問いかけてくる。
本作が観客の心をここまで激しく揺さぶる最大の理由は、なんと言っても「映画が私たちに感じさせる、圧倒的な孤独感とアイデンティティの崩壊」の描写にある。主人公のサム・ベルが過ごす月面基地のビジュアルは、白を基調とした無機質で清潔な、しかし同時に息が詰まるような閉鎖空間だ。私たちは映画の冒頭から、サムが経験している3年間の孤独を追体験させられる。愛する家族に会いたいという、人間として最も普遍的で尊い願いだけを心の支えにして、単調な作業を繰り返す日々。その健気な姿に共感すればするほど、中盤以降に明かされる「自分は使い捨てのクローンに過ぎなかった」という真実が、観客の心に致命的な一撃を与える。
もし、自分が信じて疑わなかった「自分自身の人生」や「家族との思い出」が、誰かに植え付けられた偽物のデータだったとしたら、私たちは一体何を基準に自分を定義すればいいのだろうか。この哲学的な恐怖を、主演のサム・ロックウェルは神がかった演技力で表現している。衰弱していくオリジナル(正確には一世代前のクローン)の絶望と、新たに目覚めた若いクローンの戸惑い、そして傲慢さ。これらを一人二役で見事に演じ分け、画面上に二人のサムが存在するとき、そこにはCGの技術を超えた「人間の尊厳のぶつかり合い」というドラマが生まれる。観ているこちらは、どちらのサムにも感情移入してしまい、引き裂かれるような痛みを覚えるのだ。
そして、本作のもう一つの主役であるAIロボット「ガーティ」の存在が、この物語の切なさをより一層引き立てる。映画史におけるAIといえば、『2001年宇宙の旅』のHAL9000に代表されるような、人間に反逆する冷徹な存在として描かれることが多い。しかし、ケヴィン・スペイシーが声を演じたガーティは、どこまでもサムの「味方」であり続ける。感情を記号化された絵文字だけで表現する不気味な機械でありながら、ルナ社の命令よりも、目の前で苦しむサムの幸福を優先するその姿には、皮肉にも地球で彼らを管理している人間たちよりも遥かに深い「人間味」と「優しさ」が宿っている。ガーティがサムの涙を拭うかのように接するシーンや、自らのメモリーを消去することを提案する場面では、胸が締め付けられるような感動を覚えずにはいられない。
映画の終盤、死にゆく古いサムが選んだ結末は、決して悲劇だけでは片付けられない。彼は自分の人生が偽物だったと知りながらも、もう一人の自分に「未来」という希望を託した。あれはクローンという呪われた宿命に対する、人間としての最大の反逆であり、愛の形だったのではないか。97分という非常にタイトな上映時間の中に、無駄なシーンは1秒たりとも存在しない。ソリッドで、美しく、そしてどこまでもエモーショナル。SF映画というジャンルが持つ「思考を刺激し、心を揺さぶる」という本来の魅力を、これほど高純度で結晶化させた作品には滅多に出会えるものではない。SFアレルギーの人にこそ観てほしい、映画史に残るべき人間の賛歌である。
スタッフキャスト
- 監督:ダンカン・ジョーンズ
- 脚本:ネイサン・パーカー
- 原案:ダンカン・ジョーンズ
- 製作:スチュアート・フェネガン、トリーシュ・ドリング
- 音楽:クリント・マンセル
- 撮影:ゲイリー・ショウ
- 出演:
- サム・ベル:サム・ロックウェル
- ガーティ(声):ケヴィン・スペイシー
- テス・ベル:ドミニク・マケリゴット
- イヴ・ベル:カヤ・スコデラーリオ
